2013年05月26日
24時間断食

24時間断食を無事終えることができました!
徹治じいちゃんの形見の大島紬を着ての断食
途中空腹で苦しい時もありましたが、先輩方の話しを聞いていると、耐えることができました。
そしてたくさんの仲間や先輩方が24時間断食をしたり応援に駆けつけてくれたことがとても嬉しいです^_^
おかげでみんなで耐えることができました!
断食後に頂いたナリガユ(ソテツの芯のお粥)やシブリの(冬瓜)味噌汁がとても美味しかったです。
ありがっさまりょうたです!!


そして先週にゆずり葉の皆さんが作ってくれた竹灯籠
夜は優しい光をあたえ、心身ともにリラックスして野宿ができました^_^

日中空腹で苦しい時に生元先生が島唄で励ましてくれました^_^
不思議と空腹の事を忘れ元気に^_^

昔は島唄が唯一の娯楽だったことから、苦しい時も楽しい時もそこで生きた先輩方の想いが込められた
大切な宝物なんだとあらためて実感しました。

また、6時から9時すぎまで足場の悪い中来てくださった大先輩、楠田豊春先輩、奥山垣満先輩
岡富美江先輩、山田サカエ先輩方の貴重な体験談を聞けたことが宝です。
「ただのお祝いをするんではなく、復帰するまでの苦難を語りついでほしい」
その言葉を豊春さんから聞いた時に歴史を知りたいと思いました。

僕が初めてカヤックに乗って沖から島を眺めたあの日の懐かしさは
ご先祖が人力で島を目指し、嵐で漂流しながらも探し求めた島だったから
あの日、島影を眺めて懐かしいと感じたんだと思います。


そして、60年前宝島から奄美の今里まで約90キロ黒潮を逆らい太陽の方角と海人の勘を頼りに
小さな木舟で男6人、近くにあった流木でパドル(ヤホ)を作り帆と人力で島を当て航海を成功させた
歴史があることに漕ぎ手として誇りに感じます。

そうゆう時代があったからこそ、海を渡ることに共感していただき90歳の大先輩からも応援をいただけると思います。
海を渡ることは生活の一部で生きる術だったからこそ、僕たちが受け継いでいかないと
風化してしまう気がします。
海はとても怖い場所です。
僕はカヌーをするまでまともに泳げませんでした、でも
島が海に囲まれている以上何かしら海にむかいます
幸せももたらします。
悲しい事故が起きないためにも、海を避けるのではなく共存して行くことが大事なんじゃないかと
思います。
この活動で子供たちが少しでも興味を持ち海の知識や歴史を身につけ島や海を楽しめるようになったら嬉しいです^_^
そして、今年をスタートに島々の航海が始まります。
数年後沖縄から与論、沖永良部、徳之島、奄美、喜界島と世界から注目される航海カヌーチャレンジが繰り広げられる日を
目標に!!

ありがっさまりょうた!!
漕人
白畑瞬